チラ裏案件
ちょっと思ったことをTwitterに書こうと思ったら、思いの外長文になってしまったので、ここに記録。
っていうかブログのタイトルも変えなきゃ。もうYellow Lip Man担じゃないから。
オタクたちが最近口々に「相場が高すぎる」って萎えてるのめっちゃわかるし私が降りた要因の一つでもあるんだけど、一般認知は皆無に等しいのにジャニヲタ人気だけが上がって相場を高くしてて、それって需要と供給があってなくて、コスパが悪いってことじゃん。某くんのファンサマシーンが復活したことにも原因はあるんだけど、ファンサで相場上げるのってJr.までにしてくんねーかなって思う。ドーム使うようになったらファンサより演出の方が大事だし、ドームでファンサコンなんてやったらクソほどつまんないと思う。ドームやりたいやりたい言ってるなら、京セラみたいな懐古する感じはあと数年はできないから演出で魅せないといけないのに、いつまで経ってもファンサコンしてるのがいただけないというか。まぁファンサコンだからここまでジャニヲタ人気が上がったのもあるけど、ファンサくれるから好きって人はすぐ降りるよ。ファンサくれなくなったわけでもないのに降りるような奴もいるんだけど、ファンサコンやってると売れないよ。でもいつも良席にいる認知が転売されてるのを買ってるってわかってるのに本人たちが言わないのは、そこだけが自分たちの貢ぎだと思ってるからなんだろうね。その辺の子たちから嫌われたくないからでしょ?高額転売を個人の口から注意したらそれに共感してくれる層の方が多いのに。もちろんファンを大切にすることはアイドルとして大事だけど、もっと大きいビジョンで見てもらわないと、もっと大きいステージに行くのも難しいと思う。もっと大きいステージに行くにはジャニヲタ人気だけを上げるんじゃなくて、一般認知度をあげなきゃ。ジャニヲタに媚び売ってる場合じゃない。スタッフさん作家さんに媚び売って。クラブで遊べるほど暇なんだから。
Yellow Lip Man
少し前に担降りブログが流行りましたね。
そのときは全然担降りする予定なんてこれっぽっちもなかった私ですが、
とうとうその日を迎えてしまいました。
担降りブログに関しては、賛否両論あったけど、私の今の気持ちを残しておきたいだけなので、間違えてたどり着いてしまった人はUターンをオススメします。
2014年
カウコンでデビュー発表しましたね。
このときまだ私はあなたの担当ではありませんでした。
KAT-TUNの単独カウコンで京セラにいて、東京と中継なども結ばなかったため、関西のデビューを知ったのはカウコンが終わった後。同行した友達と一回離れて喫煙所にいたところ、前にいた子が突然泣き崩れた。「濵田は?!濵田どうなるん?!」あぁ、入れなかったんだ……。関西に疎い私は濱ちゃんという人がいるってことだけであとはなにも知らなかった。関西にいろんなことがあったことは知ってたけど、詳しく誰がどうなったとかは全く知らなかったため、泣き崩れた子を見ながら、大変だなぁ、と他人事だった。
その後、4人から7人になることと、デビュー曲はファンが選ぶことを知る。その頃からたびたび少クラに出ていたため、デビュー曲はええじゃないかだろうな、とファンではない私でさえ思っていた。
デビュー日、一応関西の子たちで、エイトのバックについてた面々もいたし、デビューから応援してあげようと強く思ったのもあり、仕事終わりに新宿のタワレコにCDを買いに行った。衣装が展示されていた。この時から私はあなたに降りることを予測されていたのかもしれない。
デビュー曲を様々な番組で披露していた。現場には行かなかったけど、一応全て録画をしていて、特別誰かを推すわけではなく、全員に頑張って欲しいと思っていた。
アルバムが発表された。
少クラのレギュラーになったため、ジャニーズWESTのパフォーマンスをたびたび見る機会があり、Criminalがお気に入りだった私は、その曲がアルバムに入ることを知り、当然のように買った。(買ったはいいがCriminalばかり聴いていた)
今でも覚えている。
彼らの曲に「夏生まれが5人もいまして」というフレーズがある。私も夏生まれです。
その年の誕生日に、ある夢を見た。桐山照史と中間淳太が出て来た。それ以前に発表されていた舞台、台風n Dreamerに行かないかと友人に誘われていた私は、その夢を見たことをきっかけに、行くという返事をした。
当日、私は何の気なしに台風n Dreamerを観劇した。衝撃的だった。中間淳太はこんな人間だったのかと。私は特に彼に対して何のイメージもなく、ただエイトのバックについていて、B.A.Dというユニットを桐山照史と組んでいる、それだけだった。語彙力がないため、うまく言い表せることができないが、強く惹きつけられるものがあり、そこから私が沼にズブズブはまっていくのは割と簡単だった。
もう一回行こう、もう一回行こう、と結局チケットを買い集めて計3回入ってしまった。恋に落ちた気分だった。(その頃chayの「あなたに恋をしてみました」が流行っていたので狂ったように聴いていた)
そこから年末にかけてとても早かった。中間淳太くんについてのいろんなことを学び、過去の作品を買い、新曲が出たのでもちろん買い、カウコン(伝説のマッチカウコン)にも参戦した。
2015年
一発めぇ
初めて自チケで俗にいう良席が当たった。横アリでいうセンター席。それだけでとても喜んだ。いざ初日。何だこの席は。センターステージ真横じゃないか。友人と2人で淳太といううちわを持っていた私たちは、人生で一番幸せな時間を過ごした。ファンサってこういうものなのか、と初めて知った。
団五郎
完全に中間担になった私は、土日に日生劇場に通い詰めた。毎週毎週日生劇場にいた。こんな幸せな1ヶ月が今まで人生にあったか、いや、ない。それほど楽しかった。
パリピポ
社会人のGWは暇なので、プレ販から参戦した。5時間並んだ。ディズニーランドより並んだ。その間ずっと本を読んでいた。けど、何の本だかは忘れた。あ、「アルジャーノンに花束を」を読んでいた。(笑)
横アリ3日間全5公演、すべて参戦した。とても疲れたけど、とても充実していた。めっちゃ楽しい。グッズでタオルが出ても今まで買わなかったが、ブンブン振り回したくて思わず買った。
パリピポは横アリのみ参戦だったため、下半期は適当に過ごした。(覚えてない。)
この頃から、松竹座に憧れを持つようになり、日帰り新幹線で松竹座の少年たちを見に行ったり、クリパに行ったりし出す。
自担の現場がなくてもモチベが下がるタイプではないため、毎日自担が大好きだった。ただ、少し我慢ができなくなったときは、少年収に入ったりもした。
あ、カウコンは入りました。パリマニやったの大正解。
2016年
横アリの日程が平日だったため、仕事を辞める。(今考えてもハイパークズ)もちろん横アリ全公演、仕事を辞めて暇なため、大阪・広島・福岡に行った。後半は宮城にも行った。(ラキセの感想は去年2回に分けてブログを書いているため割愛します。)
ワクワク学校
この頃、ヒルナンデスやレコメンのレギュラーが決まり、嬉しい反面テレビ用のキャラを模索する自担に苛立つ。そのままでいいじゃんって思ってたのに、変に気遣って良さが出てなかったり。さらに嵐との共演で、見事にチケットは外れ、遠征する気もなく、友人とダメ元で人生初の立ちんぼをした。オーラスを譲ってくれる女神のようなJKが目の前に現れた。(2016年のMVPはこの2人)奇跡的にワクワク学校には入れたのである。立ちんぼも捨てたもんじゃないと思った。
その後、下半期はまたもや適当に過ごす。
新しく仕事を始め、それに一生懸命だったこともある。
ジャニーズWEST初の京セラ
10年以上ジャニヲタをやっているが、こんなにも愛してくれて、こんなにも愛を伝えたコンサートはなかった。今までで一番いいコンサートだった。(映像化を早く望みます。)帰りに友人とヤコバに乗り、新宿で別れて家に帰るまで「あ〜ジャニーズWESTって最高だな〜!」と声に出して歩きたいくらい最高だった。
私は彼らの松竹座時代を知らない。彼らにたくさんの試練があったことも知らない。それを彼らなりに消化していくのが見えた。私が好きになった、日生劇場でわちゃわちゃしてた彼らが、京セラドームで、こんな素敵なコンサートができるようになった。そのことがとても嬉しかった。
2017年
なうぇすとはチケットが取れず、お金も用意できなかったため、横アリは初日1公演のみ。この時点でもう私の進む先は決まっていたのかもしれない。その1公演で今までにない体験をした。もうこれ以上はない、これ以上自担に近づくことはできないんだ、と悟った。
次に宮城。7人でデビューを発表した日だった。そんなこと忘れていた。あれ?去年は祝えてたな?なんでだろう?違和感を覚えた。
中間担になってからも、私はいろんな現場に足を運んでいた。上でも述べたが、松竹座に行ったり、EXシアターに行ったり、TDCホールに行ったり。それでも他の現場に入った後は自担が恋しいと思うタチの悪いオタクだった。
そのノリで、今回東西演舞場に入った。
めっっっっっっちゃ楽しい。もともとKAT-TUN担な私はSixtonesのことをよく応援していたし、松竹座にも行くため関ジュも応援していた。同時に過去と現在の好きなジャニーズが見れたような夢の空間だった。そのときふと思ってしまった。「ジャニーズWESTより楽しい」と。そう思ってしまってからの私の引きはとても早かった。全てを3年前の私が好きになった当時のジャニーズWESTと比べてしまい、日生劇場でわちゃわちゃしていた彼らを思い出し、売れたことは嬉しいのにモヤモヤが消えず、あの頃の中間淳太くんを今の室龍太くんに重ねて見てしまっていた。
もともと松竹座に行き出してから、室龍太くんを見に大阪に行くことが増えていたこともある。
中間淳太くんのことは今でも大好きだし、決して嫌いになったわけではない。ただ、人気もそこそこ出始め、もう私はこの人を一生懸命応援しなくても大丈夫、という何目線やねんってツッコまれそうな結論に達した。
と同時に、室龍太くんを応援する覚悟を決めた。(ここが一番の葛藤だった)
中間淳太くん
あなたはわたしにたくさんの幸せな時間をくれました。あなたを好きになって、心から良かったと思っています。これからは近くでやる現場には行きます。遠征はしないかなって感じだけど、これからも応援させてください。私にとってあなたは、いつまでもspecialです。
たくさんの愛をありがとう。
これだけを伝えたいがために、ブログを書きました。(笑)
淳太くんは宇宙一天才だよ!大好き!